【寸沢嵐石器時代遺跡】六角形の建物で保存された敷石住居跡(相模原市緑区)

2022年9月2日金曜日

関東の遺跡

相模原市緑区にある縄文時代中期末葉の遺跡「寸沢嵐石器時代遺跡」(すあらしせっきじだいいせき)。
この辺りのメインロード、国道412号からちょびっとだけ住宅地のほうへ入ったところにあります。
どこで曲がるのかわかりにくくて、マイカーも一度通り過ぎてしまいました(412号はそこそこ交通量がありますし)。
なお、相模原市中心部から向かう場合は、412号を山梨方面へ進むことになると思うので、目安は、相模原市消防局津久井消防署やバス停「津久井消防署前」を過ぎてまもなく、という感覚です。

【寸沢嵐石器時代遺跡】
所在地  神奈川県相模原市緑区寸沢嵐568−2

412号沿いに、コチラの石碑と、案内板が設置されてますが、
なんせ、一瞬で通り過ぎてしまうので(^^;
412号沿いの案内板・・・うう、上手く撮れなかったので、読みずらい(;´Д`)

そこで、相模原市HP(「国指定文化財」)によると・・・

寸沢嵐石器時代遺跡は
・国指定史跡(昭和5年11月19日指定)
・所在 緑区寸沢嵐568-2ほか
昭和3(1928)年7月、畑の耕作中に地表下に石が敷かれている箇所が発見されて、
発掘調査で敷石住居跡であることが確認されました。
年代は縄文時代中期末葉(約4500年前)と推定。
敷石住居跡は東西約5.1m、南北約4.5mの楕円形の主体部がある。床には河原石を敷き、その間に小石を詰めて固めて作られている。北東部に張出部が付き、中央には約60センチメートルの正六角形の石囲い炉がある。
現在は六角形の建物の中に保存されていて、間近に見ることできる。
・・・・・・とのこと。

なお敷石住居の最初の発見は、
大正13(1924)年10月、現在の東京都町田市にある高ヶ坂遺跡なンですって。
→◆「高ヶ坂石器時代遺跡(町田)縄文時代の遺跡がバス通り沿いに【追記:2019年4月15日付】」(2019年4月10日付)

412号から曲がって、ちょっと歩くと・・・


「史跡 寸沢嵐石器時代遺跡」
寸沢嵐小字寸沢通称とねくぼという宮崎氏の庭にある石器時代の敷石住居阯。
・・・・・・・・・・・・炉阯の中には炭や灰の小片があった。また住居阯付近からは各種の石器・土器の破片がでている。
昭和三年夏の発見にかかる。
昭和二十七年三月 内郷村
管理者 相模湖町

・・・・・・結構昔に立てられた案内板なのですネ。
なお、内郷村は1955年に小原町・千木良村・与瀬町と合併して相模湖町になり、
相模湖町は2006年に津久井町とともに相模原市へ編入。2010年、相模原市が政令指定都市に移行し、相模湖地域は緑区となったそうです。

六角形の建屋内の様子。




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