【川尻石器時代遺跡】縄文時代中期~晩期の大集落跡 敷石住居跡など(相模原市緑区)

2022年9月12日月曜日

関東の遺跡

「川尻石器時代遺跡」
縄文時代中期~晩期(約5.500~3,000年前)の大きな集落跡で、
国指定史跡。
現地へ見に行ってみました。

所在地 神奈川県相模原市緑区谷ヶ原2丁目1−1
場所は、相模原市内にある神奈川県企業庁谷ヶ原浄水場の東側。

なお、同じく緑区にある「寸嵐石器時代遺跡」も、クルマで行けば併せて見学できる距離です。
→◆「【寸沢嵐石器時代遺跡】六角形の建物で保存された敷石住居跡(相模原市緑区)」(2022年9月2日付)


現地で目につくのは案内板と・・・
コチラの遺構。

コチラの案内板(↑)がそばにたっているところにある遺構は、敷石住居なのかナァ?

なお、相模原市HP(「国指定文化財」)によると、
川尻石器時代遺跡は
約24,237.61平方メートルが国史跡に指定。
大正年間からの調査歴あり。たくさんの遺物、敷石住居跡、配石遺構、配石墓群など礫石を多用した遺構が多数保存されていて、現在、その一部を露出展示。
発掘調査により90軒近い竪穴住居跡が確認。縄文時代中期終末から後期初頭になると、住居形式が竪穴住居から柄鏡形敷石住居へと変わり、集落の規模は縮小。後期は、敷石住居跡、配石遺構、配石墓群などが何か所か見つかっています。晩期は、集落中央部を窪地化させた造成の痕跡が確認され、焼骨が多量に出土しているとのことです。

広々とした一帯。空も広い。


縄文時代のお墓「配石墓」(はいせきぼ)がたくさん見つかっています。
石で棺状に縁どったもの、墓石のように石を立てたもの、石で墓穴にふたをしたものなどつくりは様々。
縄文時代には集落内に住居域と墓域が共存し、各空間を意識的に分けていたようです。・・・とのこと。
コチラの案内板(↑)が立っているあたりが墓域なのかナ??(前掲の敷石住居跡っぽいところよりも浄水場寄りの場所です)。

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