【桜土手古墳公園】保存・復原古墳を見学できる 出土資料・遺跡の大型模型がある博物館も(秦野市)

2022年8月31日水曜日

関東の遺跡

神奈川県秦野市にある「桜土手古墳公園」へ行ってきました。

桜土手古墳群は、秦野市中央部を流れる水無川の中流域に位置し、35基の古墳が確認されていて、それらは6世紀末~8世紀初頭に造られたもので、すべて円墳。古墳群としては県内最大規模といわれているそうです。
桜土手古墳公園には、保存古墳6基・復原古墳1基があるほか、
出土した遺物や秦野の歴史を紹介する「はだの歴史博物館」があります。
見ごたえバツグンです。
 
【桜土手古墳公園】
所在地 神奈川県秦野市堀山下
(バス停「桜土手古墳公園」からスグ)
駐車場は数台分あり(無料)。
博物館も入館無料

まずは、はだの歴史博物館を見ました。

館内の半分近くは秦野市域の遺跡・出土品に関する展示です。


桜土手古墳群に関する展示。

現地の案内板によると・・・・・・
昭和44(1969)年の「秦野市埋蔵文化財地名表」の発表で、桜土手古墳群は神奈川県内においても最大級の古墳群であることが判明。
その後、周辺に日産車体株式会社の工場建設が計画されたことによって、秦野市文化財保護委員会から保存の要望書が秦野市教育委員会に提出され、市は神奈川県教育委員会とともに事業者と協議。結果、敷地内5基の古墳の保存、他の遺構の発掘調査、33号墳周辺を買収し、陳列・収蔵施設を建設することでまとまり、保存古墳及び敷地外の古墳については市指定史跡となった。
昭和60(1985)年、「秦野テクノパーク構想」に基づく堀山下地区の土地区画整理事業が企画され、4基の古墳の発掘調査が行われるとともに、事業地内に保存古墳、復元古墳を配した古墳公園が計画、平成2(1990)年11月に秦野市立桜土手古墳公園と展示館がオープン。そして令和2(2020)年11月に開館30年を迎え、桜土手古墳展示館は「はだの歴史博物館」へ移行。
・・・・・・とのこと。

・・・そうなんですよネ。この辺りって、今や工場が集まってます。けれど、ドライブで通る限りでは、風景に緑が多い感じもするし、公の施設もあり、ゆったりかつ整然としたまちなみという印象です。

また、秦野市HP(「桜土手古墳群」)によると・・・・・・
桜土手古墳群は南北200m、東西500mの範囲で35基の古墳が分布。
各古墳は最大径約28m~最小約8.5mの規模。古墳群の中でも規模の大きい1号墳・7号墳など20mを超える古墳は、各古墳から離れた位置に構築、それよりも規模が小さいものは群集して分布。
古墳群は全て横穴式石室(埋葬施設)があり、副葬品の勾玉・耳環などの装飾品、直刀、須恵器などが出土。
1号墳・7号墳では、墳丘内に石垣状の石積あり。

桜土手古墳群第1次調査空撮。当時、この辺りはこのような風景だったのですね・・・!

桜土手古墳群分布図

秦野市域の古墳・横穴墓の分布

現地の案内板によると・・・・・・
秦野市内には32遺跡が確認されていて、
下大槻にある二子塚古墳が唯一の前方後円墳(全長46m)で、そのほかは円墳・横穴墓。
市内の古墳は全て6世紀後半~7世紀にかけてのもので(古墳時代後期)、石室は横穴式。また、横穴墓は8世紀まで造られます。
二子塚古墳は、下大槻に所在。平成22(2010)年の確認調査で、石室から装飾大刀である銀装圭頭大刀が折れた状態で出土したため、被葬者は地域の首長であったと考えられています。
・・・・・・とのこと。

神奈川県指定史跡二子塚古墳の写真(一番上)。


現地の案内板によると・・・
秦野盆地には多くの縄文時代の遺跡が確認されているが、弥生時代になると遺跡数はわずか。
盆地内が水稲耕作に不向きであったためで、一方、大根・鶴巻地区には弥生時代の遺跡が集中。
古墳時代前期・中期の秦野盆地は、ほとんどが無人状態だったが、古墳時代後期には秦野盆地でも多くのムラが営まれるようになり、これらの住居はイロリではなくカマドをもつもの。二子塚古墳の被葬者は、古墳時代中期に大陸から入ってきたカマドや耕作技術をもちいて、無人だった秦野盆地を開拓した指導者であったと考えられます。
・・・・・・とのこと。

さわる展示コーナー。
「市内の遺跡から拾われた土器です」との紹介があるので、
レプリカではなく、本物の土器のようですネ。貴重な機会。

稲荷木遺跡(秦野市戸川。縄文時代中期~後期の大規模集落)のJ31号住居の模型。大きい!

現地の案内板によると・・・・・・
縄文時代後期前葉の住居跡を型取って作製。
竪穴住居は、地面を掘りくぼめて床とし、床面に柱穴を掘ってから木の柱を立て屋根をふき下ろして建てられます。通常、住居を形作っていた部材は腐って残らないため、建物の構造を推定する手がかりが少ない場合がほとんど。しかしJ 31号住居は、部材が炭化していたために非常に良好な状態で残っていたので、縄文時代の住居の床や壁ぎわの構造を知るための貴重な資料となった。
・・・・・・とのこと。

「住居が埋まった後に掘られた落とし穴」が気になります

遺跡の展示物はまだたくさんありますし、遺跡以外の展示もいろいろ。
個人的には市内4駅の昔の写真に興味をもちました。

では屋外へ出て、園内散策。


こちらの保存古墳は「30号墳」
桜土手古墳群の古墳は、日産車体内に5基、島津製作所内に1基保存されているのですね。

こちらは1号墳の復原古墳
1号墳は昭和49(1974)年に発掘調査。
径28m・高さ5.6m。幅約5mの周溝あり。
桜土手古墳群において最大であり、一番南に、他の古墳とは少し離れた場所に造られていたとのこと。

緑比率が高い園内には、ほかにも保存古墳があります。
是非現地で☆

存在感あるシンボルモニュメントもあります。

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