【東京・多摩市】遺跡庭園「縄文の村」(2023年4月)

2023年12月13日水曜日

関東の遺跡

東京都埋蔵文化財センターの遺跡庭園「縄文の村」は、
都会的な街並みが広がる多摩センター駅から徒歩でほどなくの場所にありマス。
当時の植栽の再現や復元住居を見ることができて、面白い。
入園無料。
(2023年4月訪問)

小田急多摩線「小田急多摩センター」駅から徒歩4分、
または京王相模原線「京王多摩センター」駅から徒歩6分。

なお、建屋の展示施設(東京都埋蔵文化財センター)もすぐそばにあるので(観覧無料)、併せて楽しめマス。

なお、コチラは多摩センター駅前の様子

園内マップ

縄文の村は、多摩ニュータウンNo.57遺跡(縄文時代前期前半・中期後半)に盛土をして、当時の多摩丘陵の景観を復元したもの。
トチノキ・クルミ・クリをはじめ50種類以上の樹木やゼンマイ・ワラビ等を植栽して、縄文時代からあった植生を再現。
3棟の復元住居や湧水跡がありマス。

多摩ニュータウンNo.57遺跡は、昭和45年の発掘調査によって、縄文時代前期前半の竪穴住居跡2軒、中期後半の竪穴住居跡8軒を確認。このなかには中期末の敷石住居3軒が含まれてました。縄文時代早期の、獣の捕獲に利用されていたと考えられる陥し穴も検出。
発見された住居は10軒ですが、同時期に存在した住居は2~3軒であったと判明。
丘陵先端部からは旧石器時代に属する石器類も出土しています。
園内には、縄文時代前期前半と中期後半の竪穴住居が各1軒復元、中期末の敷石住居が1軒移設されています。
・・・とのこと。

復元住居内での火焚きのスケジュールは埋蔵文化財センターのウェブサイトでチェックできマス。・・・縄文人気分を味わえる機会?!

ということで、園内をぐるり。

「復原住居 A棟」
多摩ニュータウンNo.796遺跡で発掘された1号敷石住居跡(縄文時代中期終末)を移築・復原したもの。
今から4500年前ごろ、関東地方を中心に住居の床に平らな石を敷き詰める敷石住居が広く流行したとのこと。

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小田急多摩線側のほうへと下っていくと・・・

「湧水跡」がありマス。
江戸時代から続く農家の生活用水として最近まで使われていたが、涸(か)れることがなかったそうですヽ(゚Д゚)ノ! ここに集落を残した縄文時代の人々も、この湧水を利用して生活を営んでいたのでは・・・とのこと。
けど、湧水は昭和後期までは実際に水が湧き出ていたけど、その後いろいろな建物などができるにつれて涸れてしまいました・・・

「復元住居 B棟」
多摩ニュータウンNo.57遺跡で発見された7号住居跡(縄文時代前期)のうえに土を持って復元したもの。
竪穴住居とは、寒さを防ぐために地面を掘りくぼめ、柱を立て、茅などの草で屋根を葺いた住居で、その形は時代によって変わります。中央に火を焚いた炉があり、外敵の侵入を防ぐため入口は狭くなっています。家の中には4~5人が住んでいたようです。・・・とのこと。
柱の材料には、丈夫で腐りにくいクリの木を使用しているとのこと。


園内の所々に土器♪

どういうアングルで撮ったンだっけ(;'∀')? 「トチノキ」
種子・材ともに縄文時代から利用されてきた。
種子は澱粉(澱粉)を多量に含むので渋を抜いて食用に、材は木製容器や漆器の木地(きじ)などとして用いた。・・・・・・・とのこと。

「復原住居 C棟」
多摩ニュータウンNo.57遺跡で発見された5号住居跡(縄文時代中期後半)を復原したもの。

コチラは多摩ニュータウンNo.57遺跡にあった住居跡2軒分の模型。


この場所は、北側の乞田川(こったがわ)に向かって舌状にのびる台地の上に残された、典型的な縄文時代集落の跡だった。発掘調査によって住居跡などが発見。調査した範囲には芝を植え、住居跡2軒分をもとの位置の上に模型で表示しました。・・・・・・とのこと。


コチラのモミジの木は、枝が支えられている。


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