【神奈川県立津久井湖城山公園】ハイキングしながら歴史を感じれる山の公園【中世の城跡】

2022年8月26日金曜日

関東の遺跡

「神奈川県立津久井湖城山公園」は、戦国時代の山城「津久井城」跡の城山が公園として整備されていて、ハイキングしながら歴史を感じれる場所です。
津久井城の築城は、鎌倉時代三浦半島一帯に勢力を誇っていた三浦氏の一族、津久井氏によると伝えられています。戦国時代、小田原城を本城とする北条氏の有力支城のひとつとされていて、現在残っている遺構は16世紀に北条氏が整備したものとのことです。
園内のルートには所々、津久井城の遺構に関する案内板が立てられています。

以下の写真は全て2022年6月下旬時点での現地の様子です。


【神奈川県立津久井湖城山公園】
所在地 神奈川県相模原市緑区根小屋162
津久井湖城山公園は、国道413号沿いに、城山を体感できる「根小屋地区」
特産品販売所やBBQ広場がある「花の苑地」、津久井湖記念館がある「水の苑地」で構成されていて、
今回我が家が行ってきたのは、根小屋地区。城山の頂上まで登りました(標高375m)
ルートを選べば、ハイキング熟練者でなくても登れます・・・が!運動不足の私には良い運動になりました(^^;
なお、山登りを意識した準備(服装、飲み物、虫対策など)をしておくと安心です。

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我が家はまず根小屋地区の駐車場(無料にクルマを停めて、パークセンターがある入口へ。

パークセンターには、津久井城の出土遺物をはじめ、現在の園内の自然に関する展示、津久井地域の伝統工芸品「組みひも」体験コーナーなどがあります。結構充実していて、キレイな施設です☆



では屋外へ。
健康のためを意識して園内を巡れマス

城山といっても、所謂公園的な雰囲気が強い場所・・・パークセンターや四季の広場(遊具がある場所)、展望広場、津久井湖に面した展望デッキなどに至る通路は、傾斜はあったりしますが、比較的歩きやすく、あまりハイキングという感じではないかも。

チラリと見えているのは津久井湖に面した展望デッキ

実はコチラの展望デッキからは津久井湖はあまり見えませんw 手前の木々が繁っていたからかも? 展望デッキ手前の道からのほうがまだ見えるかナ。

なお、津久井湖とは、城山ダムの人造湖で、昭和40(1965)年に誕生。
城山ダムは神奈川県の需要な水がめです。
そうなの。の城山ダムも公園すぐそば。花の苑地から眺めやすいです。

なお、展望デッキそばにある案内板によると、
津久井湖は、ダムができる前はなくて、もともとは相模川の流れだったとのことです。
(城山ダムは相模川本流に建設されています)

では、歩いた来た道を少し引き返します。

見えているのは、城山の山頂かナ?

そして根小屋周遊園路へ。
斜面などに築かれた立派なボードウォークです。結構な距離続きます。

その途中、このような展望広場へ出ました。
現地の案内板によると、
ここからは「金原」(かねはら)と呼ばれる場所が見えているそうです。
「三増峠」(みませとうげ)という場所も見えるらしく、
永禄12(1569)年、武田信玄が小田原城を攻めた帰りに、追ってきた北条氏とこの近くで戦いました(三増峠の戦い)。津久井城はその時戦闘には加わりませんでした。
その時武田信玄が通ったとされる「信玄道」、必勝を祈願した「藤塚」など、その時の伝説が残る場所が金原一帯には数多く残されています。・・・・・・とのこと。
天気が良いと、緑とブルーのコントラストが大変美しい

この後、ハイキングの雰囲気が増します。
向かって左側に映っている坂道から、城山山頂を目指します。

山頂へのルートは複数あり。
ルートによっては傾斜がきつすぎたり、傾斜は緩いけど道が険しかったり、両脇の植物が繁りすぎてたり・・・するので、無理は禁物です。
我が家が選んだのは、城坂→車坂、と進むルート。傾斜はきついですが、比較的短時間、そしてまだ歩きやすそうな印象だったので(※状況はその時々で変わるかもしれません。ルート選びは現地でも確認して判断を)。
山野草は持ち帰らないでね

なお、「早朝や夜、イノシシ出没中!ご用心を!」との案内板も見かけました。


こんなに激しく呼吸したの、久しぶり・・・(;´Д`)
キツかったですが、達成した後は、すごく心地よい疲労を覚えました。
全身に血が駆け巡る感じ。


途中にある遺構の案内板。

「堀切と引橋」
堀切は尾根伝いに攻めてくる敵を防ぐため。尾根を逆台形に大きく掘り込んだもの。平時は木橋が架けられていますが、戦となると橋を引いたり、落としたりして敵を防ぎました。津久井城では山頂の尾根に3か所の堀切があります。
この場所には引橋の地名が伝えられていて、古絵図にも橋が描かれているため、堀切を渡る木橋が架けられていたと思われます。木橋の構造はよくわかりません。・・・・・とのこと。

そしてとうとう、山頂です。

「築井古城記碑」

「本城曲輪(ほんじょうくるわ)と土塁(どるい)」
本城曲輪は津久井城の中心。周囲の尾根には南段もの曲輪や長大な竪掘が掘られるなど、堅固な造りになっています。土手状に残った部分が土塁。これは土を突き固め盛り上げた防御壁で、敵を攻撃する台としても使われました。

山頂からの津久井湖ビュー

「津久井城の歴史」
津久井城がある場所は、古くから重要な交通の要衝地。
豊かな山林資源から経済的にも重要な地域と認識されてました。
よって、中世の早い時期から政治・経済・軍事上の要衝で、利害が対立する勢力のせめぎあいの場でもあったとのこと。

・・・津久井城があるあたりは、今でも重要な交通の要衝ですよネ~
城山北側を通る国道413号は山梨方面へ向かう際、使います。クルマの交通量もそこそこある印象。

天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方の関東の諸城も前後して落城。津久井城は徳川勢の本多忠勝、平岩親吉ら12000人の軍勢に攻められて開城。城の南に広がる金原地区には、前陣場、奥陣場、勝どき畑、首塚など、戦に関連すると考えられる地名が残っています。

・・・勝どき畑が気なる。

津久井城は「根小屋式山城」。
通常、山城は平地の面積が狭いため、城主の館や家臣の屋敷などを山麓に置きました。これが根小屋であり、山麓に根小屋を備えた山城のことを根小屋式山城といいます。

・・・なので、先ほどの眺めの良い場所(展望広場)付近に御屋敷があったのかナ?!

山頂付近に気になる存在。コチラはひょっとして・・・??

山を下りていきマス。


ラベルありの植物も

先ほどの展望広場まできて、さらに下りマス。

展望広場の下の広い場所が「御屋敷跡」
戦国時代、津久井城主内藤氏が館を構えていたとされる場所。
さまざまな遺構・遺物が発見されています(現在は保存して埋められています)。
また、落城後、江戸時代初頭には、代官によって陣屋関連の施設が営まれていたこともわかっています。・・・とのこと。

・・・御屋敷跡発掘時の航空写真、すごいですネ。
当時めっちゃ話題になったのでは。

そして再び長いボードウォーク。山の傾斜地を直に歩くより、絶対歩きやすい。ビジュアル的にもステキ。まだ新しい感じがするけど、いつごろ作られたものなのだろう?
遺跡を保存するための園路とのことです。
車椅子利用者でも通行できるようになっています。
基礎部分の工法は、杭が打ち込まれた部分しか遺跡が破壊されないものとのこと。
植物や動物の通り道も保護されているそうです。

なお、ボードウォーク沿いには、
生息するムササビに関するヒント、
人間には有害な植物の警告、
マムシ注意、
・・・などに関する掲示もありマス。

やっぱり!
城山山頂付近で見たレールは、農作業用モノレールだったンですネ。
・・・一度乗ってみたい☆

「戦国農園」 今年は蒟蒻(コンニャク)。
こんにゃく芋そのものは日本には縄文時代に伝わっていて、奈良時代には既に食用に、鎌倉時代以降、庶民にも普及したようです。・・・とのこと。
4年以上植え付けないと花が咲かないンだって。

そして、パークセンター付近に戻ってきたあたりで・・・
城板橋。「牢屋の沢」に架かってます・・・・・・
牢屋の沢とは、牢屋があったといわれる沢( ̄□ ̄|||)
江戸時代初頭に陣屋に代官がいたときに使われたとされていて、「水牢」だったといわれています。

パークセンター付近のエントランス

エントランスを出てスグのところにある自治会館の敷地。
鐘があります。

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